終活で悩んだときは仏教を学んでみよう

終活で利用することの多いお寺

終活を始めたとき、将来的に自分が亡くなったあとのことを考える人も多いかもしれませんね。お墓の問題はもちろんですが、生きている間に自分のいろいろな悩みを解決しておきたいと思うものです。
自分の思いどおりにならないことが多いと、悩んだり苦しむことも多いかと思われます。できればその苦しみの原因から解放されたいですよね。
そんなときにいろいろなお寺に行ってみたり、お坊さんからお話を聞く機会もあるのではないでしょうか。

仏教とは?

日本のお寺は仏教の教えを説いているので、仏教を開いたお釈迦様の教えを学びます。仏教では、人々を苦しめる原因は何か、苦しみを解放するためにどうすれば良いかというお釈迦様の教えを元に、アドバイスを行ってくれます。
お釈迦様は生きることそのものに苦がついてまわるので、生きている限り苦しみを味わうのは当然であると説いています。
ここの部分だけを抜き取って聞くと、結局悩みや苦しみは解決できないのではと感じますが、お釈迦様はその解決方法もしっかり残しています。
仏教が目指すのは仏に成ることで、成仏を意味します。成仏というと亡くなったあとやお葬式のことを考えるかもしれませんが、お釈迦様は今現在の暮らしから悩みや苦しみを解放し、生き生きと生活するかということを説いています。
人生には苦しいことがついて回るけれども、苦しみの原因をコントロールすることで、今を生き生きと生きられることを突き詰めた智慧が仏教です。

終活の悩みごとは真如苑でご相談を

仏教の教えをしっかり学ぶのは、やはり仏教の教えを説いているお寺や教団などに行って、お話を聞くのが一番です。
お寺や教団と聞くと入信を求められたり、高額なお布施を求められるのではと心配になるかもしれませんが、それはごく一部の悪徳な教団であり、ほとんどのお寺や教団は真面目に仏教の教えを人々に説いています。
東京都に総本部のある真如苑は、世界中に寺院をもつ仏教教団で、伊藤真乗が教主を務めています。
真如苑は1936年に開かれた新しい仏教教団ですが、多くの人から支持されており、サラリーマンや主婦といった普通の人々が教えを学んでいます。
真如苑ではお釈迦さまが悟りを完成し、人間として生涯を終えるまでを描いた大般涅槃経という経典を学べます。
たくさんのお寺があるので、終活の悩みをどこに相談すれば良いか迷う人も多いかと思われますが、一度真如苑でお話を聞かれてみてはいかがでしょうか。真如苑では、日常の中で自分を成長させるための祈りの修練を学べますので、自宅で自分の姿を見つめなおすことができます。

▽管理人推奨サイト真如苑 – 教団データベース(新) – (公財)国際宗教研究所

仏教で苦しみから解決されよう

困ったときだけ神頼みをしても意味がない

人生がうまく進んでいるときはあまり考えることはありませんが、仕事で大きな失敗をしたり、大切な人を失ったとき、恋愛がうまくいかないなど、思うように人生が進まないときは、自分の日頃の行いが良くないせいではと考える人も多いことでしょう。
人生がうまく行かなくなったときは、ご先祖さまの墓参りに行ったり、お寺に行って修行をするなど、いわゆる神頼みをする人も少なくありません。
困ったときに神頼みをしたとしても、人生がうまく行き始めると、すぐにその気持ちを忘れてしまい、またうまくいかなくなると神頼みをすることを繰り返していては、いつまでたっても人生そのものがうまく進まなくなります。
神頼みをすることは決して悪いことではありませんが、その教えを常に頭に入れて行動することが大切です。

人生に苦しみがつきまとうのは当たり前

日本では仏教が浸透しているので、困ったときにお寺に行って相談する人も多いのではないでしょうか。
仏教では、まず人生は思いどおりに進まないということを最初に学びます。一切皆苦といいますが、苦しいだけでなく人生が思いどおりにならないことを説いています。
仏教の教えでは、人生にはさまざまな苦難がついてまわるとされています。生老病死はもちろん、それ以外にも愛別離苦と怨憎会苦、求不得苦と五蘊盛苦があります。
愛別離苦は愛する人と別れる苦難です。愛する人と別れるのもつらいですが、亡くなってしまうと二度と会うことができません。
怨憎会苦は憎んでいる人や怨んでいる人に会う苦難です。憎んでいる人や怨んでいる人とはなるべく会わないようにしたいものですが、近しい関係だとそうもいきません。同じ職場だったり、家族であったりと、現況によっては会わずに済むことが難しい場合もあります。
欲しいものを手に入れられないことを求不得苦といいます。欲しいものがあれば人間は努力しますが、必ず手に入れられるとは限りません。
心や体の欲望を満たせないことを五蘊盛苦といいます。自分の欲望を満たすとそのときは満足しますが、新な欲求がわいてくると、またその欲を満たそうとします。次から次へと新たな欲求が出ると完全に満足することができず、常に何かに飢えている状態になります。
こうした苦しみから逃れたいと思っている人は多いかもしれませんが、なかなか自分ひとりで解決するのは難しいかもしれませんね。

苦しみから逃れたいときは真如苑へ

真如苑ではこうした苦しみをコントロールする仏教の教えを説いています。仏教では苦しみから逃れるには八正道を実践するよう説いていますが、真如苑でそうした教えも学ぶことができます。
真如苑は東京だけでなく、全国各地に寺院がありますので、苦しみから解決されたいと思うときは、近くの真如苑でご相談されてみてはいかがでしょう。

お墓で悩んだときに確認しておきたいこと

仏教式のお墓が多い日本

自分の親が亡くなったときや終活を始めたときなど、さまざまなきっかけでお墓のことを考え始めるようになります。将来的に供養や法要をどうすれば良いか悩み、お寺に相談に行く人も少なくありません。
既に先祖代々のお墓が建てられていたり、親が何かしらの宗教に入っているならそれほど悩むことはありませんが、新たにお墓を建てなくてはならない場合、どの宗教を選べばよいのか悩むことでしょう。
宗教というと勧誘される、お布施を求められるなどマイナスイメージを持つ人も少なくありませんが、世界中のほとんどの人が何かしらの宗教に入っています。
世界的な信者数からするとキリスト教が圧倒的に多いですが、日本では仏教の信者がほとんどです。
基本的に日本のお墓はほとんど仏教式となっています。お墓参りに行ったときに、三段になったお墓をよく見かけると思います。
江戸時代から普及したお墓ですが、三段墓とよばれており、一番目にすることが多いお墓です。

仏教の法要

もしお墓が必要になった場合、お墓を建てることだけでなく、同時に法要をどうするか考えなくてはなりません。
お墓を建てるときに必要になってくるのが開眼供養です。お墓にご先祖さまの霊を呼び込む供養といわれており、これによってお墓としての機能を持たせます。
逆にお墓を閉じる際に必要になるのが閉眼供養です。お墓からご先祖さまの霊を抜き、ただの石碑に戻します。最近では墓じまいをする人も多いですが、閉眼供養が必要だということを忘れないでください。
故人の遺骨をお墓に納めることを納骨供養といいます。一般的には四十九日の法要に合わせて行うことが多いですが、必ず四十九日に行わなければならないということではありません。一周忌に合わせて納骨を行う人もいます。できれば納骨供養は三周忌までに行うようにしましょう。
四十九日まで7日ごとに訪れる日のことを忌日といい、その日に行う法要を忌日法要といいます。最初の忌日法要を初七日といい、葬儀後に初めて行われる法要です。
命日に合わせて何年かおきに行われる法要を年忌法要といいます。一周忌や三周忌、七周忌、三十三周忌などがありますが、地域によっては五十周忌や百周忌などもあります。一般的には三十三周忌を最後にすることが多いようです。

法要に困ったときは真如苑へご相談を

最近では宗派を問わず受け入れてくれるお寺なども多いため、法要をどうするか悩む人も多いのではないでしょうか。
真如苑は仏教のお寺で、法要のご相談も受け付けているようです。基本的には真如苑で法要を行うようにお願いしていますが、事情によっては申し込みも可能なようです。
真如苑では困った人々の相談にまず乗り、それから適切な回答をしてくれますので、法要に困ったときは真如苑に相談してみてください。

終活の意味を考える

迷惑をかけないことが終活なの?

大学の就職活動の就活に倣い、人生の終わりの活動をすることとして名づけられた終活ですが、周りの人に迷惑をかけないよう、自分のことはすべてきちんと終わらせておこうという活動です。
自分の葬儀の手配をしたり、お墓を用意しておく、遺書を書いて相続で揉めないようにするなど、生前に自分の終わりを迎えられるよう準備しておきます。
もしくは葬儀やお墓の希望や、パソコンのパスワードなどをエンディングノートに書き貯めて置き、もしものときに家族がそれを見れば困らないようにしておきます。
もともとは自分の人生に心残りがないように、または自分の人生を見直す意味で始まったことだと思われますが、最近では周りに迷惑をかけないために行うものが終活だと思っている人も多いようです。
自分が死んだ後に周りに迷惑をかけないようにと、いろいろ配慮することも大切ですが、完全に迷惑をかけないわけにはいきません。
人間は生きている限り必ず誰かに迷惑をかけているもので、自分が迷惑をかけていないつもりでも、知らないところで迷惑をかけていることもたくさんあります。
迷惑をかけないことは美徳と思われていますが、あまりにも過剰になりすぎると息苦しくなり、生きづらくなってしまいます。

人間は迷惑をかけあいながら生きるもの

死んだ後は仏教式のお墓に入りたいと思う人も多いと思われますが、仏教の教えでは縁起という言葉があります。
人々が相互に関係しあい、支えあいながら生きるという教えですが、それは周りに迷惑をかけあいながら生きるということにもつながります。
終活という言葉に踊らされて周りに迷惑をかけないことに過剰になりすぎてると、仏教の真理を無視した活動になっているともいえます。
周りに迷惑をかけないことで善行を積んだと思うかもしれませんが、一人よがりになってしまっては、仏教の教えから背くことになります。

真如苑で仏教の教えを学ぼう

終活をすることで成仏できると思っている人も多いかもしれませんが、終活イコール成仏ではありません。
正しい仏教の教えを学ぶことで、どのような終活をすることが望ましいのかが分かってきます。
真如苑は仏教の教えを説いているお寺なので、終活で悩んだときは真如苑でお話を聞いてみるのも良いかもしれませんね。
真如苑は東京都に総本部がありますが、全国に寺院があるので、どこの地域でも相談することが可能です。
真如苑では定期的に法要も行っていますので、まずは参加してみてはいかがでしょう。終活の本来の意味が何なのかを読み解けるかもしれませんね。

悩みごとはお寺で相談を

悩みが複雑化している現代

インターネットの普及により生活はとても便利になりましたが、その一方で人間関係は希薄になっています。
対面で会話をする機会も減ったことから相手の本音が分かりづらく、人間関係が複雑化する原因ともなっています。
仕事や恋愛がうまくいかない、将来に不安があるなど、いろいろな悩みを抱えている人は多いですが、誰にも相談できないため、その苦しみから逃れられずにいます。
自分の悩みならまだしも、子どもや夫、両親といったように家族の悩みとなると、さらに悩みが深くなります。
自分の悩みは自分で解決することができますが、家族の悩みは自分が解決できないことが分かっているからです。
子どものいじめや不登校、夫の浮気や仕事の失敗、両親との不仲など、自分一人では解決できない悩みを抱えている人も多いことでしょう。
怪しげな占い師や霊能者に相談をする人も多いですが、それで解決できた人はほとんどいないと思われます。

お寺で相談する人が増えている

本来なら悩みごとを相談する相手というのは、友だちや会社の同僚、家族など周りにたくさんいるはずですが、自分の弱みを相手に見せたくない、自分の本音をどうさらけ出していいか分からないといった人も多いでしょう。
最近ではこうした悩みを解決するために、お寺に悩み相談をする人が増えています。お坊さんに話をすることで気持ちが軽くなったり、仏教の教えを説いてもらうことで納得でき、悩みを解決できる人もいるようです。
お坊さんは占い師でも霊能者でもありませんので、ただ話を聞いてくれるだけだったり、仏教の教えを説いてくれるだけだったりしますが、相談することによって気持ちが軽くなることから、お寺で相談する人が増えているようです。

真如苑の法要に参加しよう

とはいえ、いきなりお坊さんに相談するのは気が引けるという人も多いことでしょう。いきなり相談するのではなく、まずはお寺の法要などに参加し、お話を聞いてみてはいかがでしょう。
東京に総本部のある真如苑では、定期的に法要を行っています。真如苑では参拝できる機会もありますので、お参りから始めてみるのも良いでしょう。
真如苑にお参りをしたからといって、いきなり信徒になるわけではありません。また、真如苑で行われている法要に参座した場合も同様です。
真如苑に限らず、さまざまなお寺でもこうした機会を設けていますので、いろいろなところでお話を聞いてみるのも良いかもしれません。
お話を聞いた上で信徒になりたいと思う人も多いので、いろいろなお寺でお話を聞いて、自分が納得できるところに入信するようにしましょう。